【C5】大田区産業会館へ初の移転!スペース拡大と同人誌の本格的増加を徹底解説!

コミックマーケット5(C5)の軌跡と歴史
有明まい

板橋での大混雑を乗り越えて、ついに蒲田の『大田区産業会館』へ移転したんだね!会場が広くなって、みんな大喜びだったのかな?

草壁シトヒ

大喜びどころか、スペースが一気に広がって大興奮だったよ!サークル数も90を超えて、いよいよコミケが本格的な即売会へと発展していくんだ

板橋産業連合会館での限界に達した大混雑を経て、コミックマーケットはさらなる飛躍を目指し、より広大な会場の確保に乗り出しました。こうして選ばれたのが、東京・蒲田にあった「大田区産業会館」です。

1977年4月10日に開催された「C5」は、大田区産業会館における記念すべき第1回目の開催でした。会場が格段に広くなったことで、サークル配置に余裕が生まれ、同人誌の本格的な増加期を支える大きなインフラが確保された回となりました。

この記事では、コミケ草創期の重要拠点となったC5の歴史を徹底解説します!

この記事でわかること
  • C5で大田区産業会館へ初めて移転することになった背景
  • 参加者数が推定約1,500人に達し、初めて「4桁」の規模を記録したこと
  • 広くなった会場でのサークル配置や当日の快適性の向上
  • オリジナル創作からアニメ関連同人誌まで、多様化するジャンルの動向
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新聖地の誕生:大田区産業会館への初の移転劇

1977年春、コミケ準備会は板橋時代のスペース不足を克服するため、東京・蒲田にある大田区産業会館での開催を決定しました。それまでの会議室や小規模ホールとは異なり、近代的なビルの中の広いワンフロアを使用できるため、サークル数94サークルを整然と配置することが可能となりました。

快適性の劇的向上と同人誌の本格的増加

会場スペースの劇的な拡大により、板橋時代のような通路のすし詰め状態や、壁際への本の無理な積み上げが解消されました。参加者は自分のサークル机の周囲にゆとりを持って展示看板を立てたり、見本誌を並べたりできるようになり、同人誌の編集クオリティや種類も本格的な増加期へ突入しました。

有明まい

大田区産業会館!蒲田駅からも近くて、板橋の会場よりずっと快適に買い物ができるようになったんだね!

草壁シトヒ

そうだね。会場が広くなったことで、出展サークルも机いっぱいに本を並べられるようになって、創作活動がさらに活発化したんだよ

参加規模の急増と「C5」の開催データ

1977年4月10日に開催されたC5の公式記録および当時の規模データは以下の通りです。

開催日1977年4月10日
会場大田区産業会館
参加サークル数94サークル
参加者数推定約1,500人

C4の80サークルから94サークルへと増加し、一般参加者数は推定約1,500人と、コミケ史上初めて「千人の大台」を突破。コミュニティが地域ローカルの枠を越え、広く首都圏全域へと広がり始めている様子が浮き彫りになりました。

アニメブーム前夜と多様化するジャンル構成

C5が開催された1977年春は、のちに一大アニメブームを巻き起こす『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版公開(1977年夏)を控えた時期でした。会場内ではSF創作小説や少女漫画ファン同人誌に加え、テレビ放送されていたアニメ作品のパロディ本やファンジンが急速に勢力を伸ばしていました。

商業誌では絶対に読めない、ファンによる愛に溢れた二次創作物や、手刷りのインディーズミニコミ誌が一堂に会する様子は、まさに日本の「オタクカルチャーの胎動」そのものでした。大田区産業会館というインフラを得たことで、コミケは一時的なイベントから「永続的な創作活動のハブ」としての地位を確立し始めたのです。

有明まい

参加者もついに1000人を突破したんだ。大田区への移転は大成功だったんだね

草壁シトヒ

うん。C5は、コミケがただの愛好家の集まりから、社会的なサブカルチャーの『プラットフォーム』として羽ばたくための、最初の滑走路になったと言えるね

C5(第5回コミックマーケット)に関するよくある質問(FAQ)

なぜ板橋から大田区産業会館へ移転したのですか?

サークル数と一般参加者の増加に伴い、板橋産業連合会館ではキャパシティの限界が近づいたため、より広くて設備の整った大田区産業会館へ移転しました。

大田区産業会館への移転で何が改善されましたか?

会場が広くなったことで通路スペースが確保され、配置の自由度が向上したほか、アクセスや冷暖房設備などの利便性も改善されました。

C5開催当時の流行ジャンルは何でしたか?

SFアニメの宇宙戦艦ヤマトの人気が依然として高く、ファンによる同人誌やファンクラブの交流が非常に盛んでした。

移転に伴う参加者の混乱はありましたか?

事前に郵送や手配チラシ等で周知されていたため大きな混乱はなく、新しい会場の広さに多くの参加者が喜びました。

C5当時のサークル申し込みはどのように行われましたか?

往復はがきを用いた手書きの申し込みが主流で、準備会メンバーが1通ずつ目視で処理と配置決めを行っていました。

当時の流行ジャンルと頒布作品

SF創作の他、少女漫画創作、ファンタジー系、そして徐々に台頭してきたアニメーション関連のファン同人誌が勢力を伸ばしていました。

当日のエピソードと会場の様子

1977年4月10日、コミケは板橋から大田区産業会館へ初の移転を行いました。参加サークルは94サークルに拡大し、一般参加者は推定約1,500人に達しました。

板橋と比べて格段に広くなった大田区産業会館への移転により、サークルのスペース不足が一気に解消され、同人誌の本格的な増加を支える強固なインフラが確保された回となりました。

まとめ:大田区時代の滑り出しを飾ったC5

C5(1977年春コミ)は、初の会場大幅拡張となる「大田区産業会館への移転」を成功させ、参加者1,500人規模への大飛躍を遂げた極めて重要な回です。

C5の重要ポイント
  • スペースの大幅な拡張のため、蒲田の「大田区産業会館」へ初の移転(4月10日)
  • 参加サークルが94、一般参加者が推定1,500人に達し、初めて「千人超え」を達成
  • 通路の混雑が解消され、展示の自由度向上と同人誌発行のクオリティアップが加速
  • SF小説や少女漫画創作のほか、テレビアニメを題材としたファン同人誌が徐々に存在感を増した
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