コミケって今はビッグサイトだけど、最初はどこだったんだろう?2回目で早くも移転したって聞いたけど、何が起きたのかな?
最初の第1回は虎ノ門の小さな会議室だったんだよ。でも、第2回(C2)で早くも『板橋』へお引っ越し!ここからコミケ名物の『会場ジプシーの歴史』が始まったんだ
1975年12月にひっそりと産声をあげたコミックマーケット。記念すべき第1回(C1)は、東京・虎ノ門にある日本消防会館の会議室で開催されました。
しかし、わずか数ヶ月後に開催された2回目のコミケ「C2」では、早くも最初の会場移転を経験することになります。
1976年4月4日に開催されたC2の会場は、東京の板橋産業連合会館。サークル数や参加者の微増に対応するためのこの移転こそが、その後の長い「会場確保との戦い」すなわちジプシー時代の幕開けでした。
この記事では、草創期コミケの過渡期となったC2の歴史と、その意義について徹底解説します!
- C2で実施された、初の会場移転(消防会館から板橋へ)の背景
- サークル数や参加者が微増した当時の即売会規模と手作り感
- 会場の確保に奔走した準備会の初期メンバーたちのドラマ
- コミケが「ジプシー時代」へと突入していく歴史の第一歩
最初の移転劇:消防会館から板橋産業連合会館へ
1975年12月21日のC1は、サークル数32、参加者約700人という小規模なスタートでした。しかし、開催後の反響は大きく、準備会は第2回に向けてさらなる参加者の増加を予想し、より広い会場を探す必要に迫られました。
予算と規模のバランスから選ばれた板橋
当時のコミケ準備会は資金的にも非常に厳しく、巨大な公共ホールを借りる余裕はありませんでした。そこで白羽の矢が立ったのが、東京都板橋区にある「板橋産業連合会館」でした。
会議室よりも広く、なおかつ初期の準備会でも手が届く料金設定だったため、この場所での開催が決定したのです。
ええっ、たった1回やっただけで別の会場へお引っ越し!?準備会の人たち、パニックにならなかったの?
パニックというより、必死だったんだよ。第1回の会議室は狭すぎてサークルが増えたら入りきらない。でも予算はないから、ギリギリ借りられる板橋産業連合会館を見つけて滑り込んだんだ
参加規模の推移と「初期コミケ」の開催データ
1976年4月4日に開催されたC2の公式記録および当時の規模データは以下の通りです。
| 開催日 | 1976年4月4日 |
| 会場 | 板橋産業連合会館 |
| 参加サークル数 | 39サークル |
| 参加者数 | 推定約550人(資料によっては約800人) |
C1の32サークルから39サークルへと微増し、参加者数も約550人規模と、着実にコミュニティとしての基盤を広げている様子が伺えます。
少女マンガファンが熱狂したアットホームな催し
驚くべきことに、当時のコミケ参加者の9割近くは少女マンガファンの女子中高生でした。現在の男性向け・女性向けが混在する巨大イベントとは異なり、非常にアットホームで熱烈なコミュニティだったのです。
会場内では、単に同人誌を頒布するだけでなく、以下のような様々な手作りの催しが行われ、参加者を大いに沸かせました。
- 「奇人クラブ」による岡田史子氏の原画展:当時の同人・商業の架け橋となる貴重な原画が展示され、多くのファンが食い入るように見つめました。
- 懐かしの漫画主題歌合唱大会:会場一体となってアニメや漫画の歌を歌い、熱いオタク同士の連帯感を深めました。
- まんが古本タタキ売り:貴重な過去の名作マンガがその場で取引され、情報交換の場としても機能しました。
何でもありの熱気とコミュニティの誕生
当時の会場内は、現在の整然としたコミケとは全く異なり、長机の上に同人誌やペーパーが並べられ、参加者同士が膝を突き合わせて語り合う温かみのある空間でした。SFやアニメ、漫画など、ジャンルの垣根もなく、「自分たちが好きなものを表現し、共有する」という純粋な熱気が板橋の小さな会場に満ちていました。
しかし、この板橋産業連合会館もC2〜C4の利用にとどまり、次回以降はまた別の会場を探さなければならなくなりました。コミケはここから、大田区産業会館や川崎市民プラザなどを転々とする「ジプシー時代」へと本格的に足を踏み入れていくことになります。
そっか……。今みたいに数万人規模になるずっと前から、場所の確保だけで大ドラマがあったんだね
そうなんだ。この『次はどこで開催できるか分からない』という危機感があったからこそ、参加者も準備会と一緒にイベントを守ろうという『コミケの連帯感』が強くなったんだよ
C2(第2回コミックマーケット)に関するよくある質問(FAQ)
- なぜ消防会館から板橋産業連合会館へ移転したのですか?
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第1回(C1)を開催した虎ノ門の日本消防会館が、予想を上回る混雑により会場側から次回以降の利用を断られてしまったため、急遽板橋産業連合会館への移転が決まりました。
- C2当日の混雑状況やサークル数はどのくらいでしたか?
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参加サークル数は約30サークル、一般参加者は約100〜200名程度と、第1回(C1)からほぼ横ばいでしたが、会場의広さに少しゆとりができたため、比較的落ち着いた運営となりました。
- 板橋産業連合会館とはどのような会場でしたか?
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木造2階建ての小規模な集会施設で、現在のコミケの会場と比べると非常にこぢんまりとしており、初期の同人作家たちが集うアットホームな雰囲気でした。
- C2当時のコスプレ文化はどうなっていましたか?
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当時はまだ現在のようなコスプレという独立したジャンルや専用更衣室はなく、SF作品などの仮装をした数名の参加者が会場内で見られる程度でした。
- C2開催時にカタログや入場チケットはありましたか?
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当時はまだ冊子版のカタログはなく、サークル配置が書かれた手書きの案内用紙が配られる程度で、入場も完全に無料でした。
当時の流行ジャンルと頒布作品
創作少女漫画やオリジナルSF創作が中心であり、当時の女子中高生ファンが参加者の9割近くを占める極めてアットホームなコミュニティでした。商業主義から切り離された、手作りの温かみがある作品が多く頒布されました。
当日のエピソードと会場の様子
1976年4月4日、コミケは2回目にして早くも最初の会場移転を行い、板橋産業連合会館で開催されました。参加サークルは39、参加者は推定約550〜800人。
会場内では、同人サークル『奇人クラブ』による岡田史子氏の原画展や、懐かしの漫画主題歌合唱大会、まんが古本タタキ売りといった、アットホームかつ手作り感にあふれる様々な催しが開催され、会場を大いに盛り上げました。
まとめ:ジプシー時代の幕開けとなったC2
C2(1976年春コミ)は、コミケ史上初の会場移転を行い、後に長く続く「会場確保の歴史」のスタートラインとなった重要な回です。
- C1の日本消防会館から、規模拡大のため板橋産業連合会館へ初の移転を実施
- 参加サークル39、推定参加者約550〜800人。少女マンガファンの女子中高生が9割を占めた
- 岡田史子氏の原画展や合唱大会など、アットホームな初期オタクカルチャーの熱気
- 会場出入りや規律の難しさに直面し、後の「ジプシー時代」への過渡期となった
