コミケのC12ってどこで開催されたの?
C12で起きたボヤ騒ぎと、その後の会場出禁について詳しく知りたい
1975年にわずか32サークルからスタートしたコミックマーケット。その歴史は、急増する参加者の受け皿を求めて会場を転々とする「ジプシー時代」の歴史でもありました。
ネット上の一部では「C12は川崎市民プラザで開催された」と誤解されることもありますが、実際には1979年夏に浅草の「東京都立産業会館 台東館」で開催されました。
そしてこの回は、コミケの歴史において「最大の試練」の一つとなった出来事――会場内でのボヤ(小火)騒ぎが発生し、わずか1回で会場を追い出されてしまった歴史的な回なのです。この記事では、C12の真実とその後のコミケに与えた多大な影響を徹底解説します!
- C12の正確な開催日程と、浅草・台東館へ移転した背景
- 開催中に発生した「ゴミ箱からのボヤ騒ぎ」の全貌
- わずか1回で台東館が「使用停止」となり、ジプシー時代が激化した経緯
- 1979年夏の同人カルチャー:ヤマトブームの最盛期とガンダムの産声
コミックマーケット12(C12)の基本スペックと浅草・台東館開催の背景
C12は、1979年7月28日〜29日の2日間にわたり、東京都台東区浅草にある「東京都立産業会館 台東館」で開催されました。この時の基本スペックは以下の通りです。
| 開催日 | 1979年7月28日(土)・29日(日) |
| 開催会場 | 東京都立産業会館 台東館(浅草) |
| サークル数 | 約280サークル |
| 一般参加者数 | 約3,000〜4,000人(推定) |
| 主な出来事 | 会場内でのゴミ箱ボヤ騒ぎ、台東館の使用停止処分 |
急増するサークル:板橋から浅草(台東館)への移転経緯
前年のC10(大田区産業会館)やC11(都立産業会館 浜松町館)を経て、コミケのサークル数は300近くに達し、一般参加者も数千人規模に膨れ上がっていました。それまで使用していた小規模な会議室や地区会館では物理的に収容不可能となったため、準備会はより広い展示面積を持つ「浅草の台東館」を新たな聖地として確保しました。
「これでしばらくは安泰だ」と、関係者全員が安堵したスタートでした。
<
運命のトラブル:ゴミ箱からのボヤ騒ぎと台東館からの「出禁」
しかし、新天地での喜びも束の間、C12の会期中にコミケの存続を揺るがす大事件が発生します。
会場内で発生した小火(ボヤ)の真相
熱気に包まれた会場内のゴミ箱から、突然煙が立ち上りました。原因は、心ない参加者がポイ捨てしたタバコの吸い殻が、ゴミ箱内のゴミに引火したことでした。
スタッフの迅速な消火活動により小火で済み、怪我人なども出ませんでしたが、公共の展示場において「火災のリスクを生じさせた」という事実は極めて重く受け止められました。
1回きりの浅草開催と、重い「使用停止処分」
このボヤ騒ぎの結果、会場側から「今後の利用は認めない」として、台東館の利用を差し止められる厳しい処分が下されました。結果として、期待の新会場だった台東館での開催は、このC12のわずか1回のみで終了することになったのです。
試練のジプシー期へ:C12の教訓がもたらした会場確保の苦闘
C12での会場追放処分により、コミケ準備会は再び「次の会場が見つからない」という絶望的な状況に追い込まれました。
大田区への帰還と「川崎ジプシー」への道程
急遽、次回のC13(1979年冬)は古巣である「大田区産業会館」に頭を下げて開催しましたが、すでにサークル数の増加に限界を迎えていました。そのため、準備会はついに東京都内を諦め、神奈川県川崎市にある「川崎市民プラザ」へと越境移転(C14〜C17)することを決断します。
このC12のボヤ騒ぎこそが、のちに語り継がれる過酷な「川崎ジプシー時代」を招く直接の引き金となったのです。
1979年の同人カルチャー:ヤマトブームの頂点とガンダムの産声
一方、同人カルチャーの面では、C12が開催された1979年は非常に重要な年でした。当時、劇場版の公開などで社会現象となっていた『宇宙戦艦ヤマト』のSF同人誌が圧倒的な人気を誇る一方で、この年の4月には『機動戦士ガンダム』のテレビ放送が開始されていました。
C12の会場では、のちに同人界の巨大ジャンルへと成長するガンダム同人誌が、まさに「最初の産声」を上げた瞬間でもありました。
C12に関するよくある質問(FAQ)
- C12は川崎市民プラザで開催されたと聞いたのですが?
-
それは誤りです。C12の会場は浅草の『東京都立産業会館 台東館』です。
ボヤ騒ぎで台東館を使えなくなったため、のちのC14〜C17において川崎市民プラザがメイン会場として使われることになりました。
- ボヤ騒ぎの後、運営はどのような対策をとりましたか?
-
準備会は会場内の防火対策を劇的に強化し、ゴミの厳格な分別回収、喫煙所の制限、参加者へのマナー啓発などを徹底するようになり、これが現在のクリーンなコミケ運営の基礎となりました。
- C12の入場者数はどれくらいでしたか?
-
1日開催で約3,000〜4,000人程度と推定されており、草創期から中規模イベントへの過渡期にあたる規模感でした。
当時の流行ジャンルと頒布作品
1979年夏は、劇場版が大ヒットして社会現象となっていた『宇宙戦艦ヤマト』のSF同人誌が圧倒的な覇権を握っていました。一方で、この年の4月にはテレビアニメ『機動戦士ガンダム』の放送がスタートしており、C12の会場では、のちに同人界最大の巨大ジャンルとなるガンダム同人誌が、まさに『最初の産声』を上げた瞬間でもありました。
当日のエピソードと会場の様子
C12は、1979年夏に浅草の『東京都立産業会館 台東館』で開催されました。この時期、サークル数は280を超え、大田区産業会館などのそれまでの会場では物理的に対応できなくなったため、準備会は台東館の広い展示スペースを新たな拠点として選びました。
しかし、この会期中、非常に重いトラブルが発生します。会場内のゴミ箱で、一部の参加者がポイ捨てしたタバコの吸い殻が原因と思われるボヤ(小火)騒ぎが発生したのです。
スタッフの迅速な消火によって怪我人や大きな物的被害は免れましたが、公共施設における火気の不始末は極めて致命的であり、会場側から『以後の使用停止処分(出禁)』を言い渡されてしまいました。 この痛恨のトラブルにより、コミケは再び会場を失い、次回のC13は大田区産業会館へ一時避難し、その後は都外の川崎市民プラザなどを転々とする過酷な『川崎ジプシー期』へ引きずり込まれることになります。
まとめ:C12がコミケの歴史に刻んだ「防災とマナー」の原点
コミックマーケット12(C12)は、会場のボヤ騒ぎと出禁処分という大きな挫折を経験し、その後の過酷なジプシー時代へと突入するきっかけとなった回です。
- 会場は川崎市民プラザではなく、浅草の「東京都立産業会館 台東館」で開催
- ゴミ箱へのポイ捨てが原因のボヤ騒ぎにより、台東館から「一発出禁」の重い処分
- この出禁が引き金となり、大田区への一時退避を経て「川崎ジプシー時代」へ突入
- ヤマトブームのピークの中、誕生したばかりの『機動戦士ガンダム』の同人誌が芽吹き始める
この時に得た痛烈な教訓から、準備会は会場内の防火対策やサークル参加者のマナー啓発、ゴミの分別収集などを徹底するようになり、現在のビッグサイトにおける「世界一クリーンで安全な自主運営」の基礎が形作られていきました。C12の失敗があったからこそ、今日のコミケの安全があると言っても過言ではありません。

