【C6】初めての夏コミ熱中症対策!大田区産業会館でのサバイバルな夏を徹底解説!

コミックマーケット6(C6)の軌跡と歴史
有明まい

コミケが初めて2日間開催になったのっていつなんだろう?今は何日間もやるのが当たり前だけど、2日に増えたきっかけを知りたいな

草壁シトヒ

それは1977年夏の『C6』だよ!サークル数がついに100の大台に乗って、夏の過酷な暑さの中で混雑を避けるために、2日間に分ける大改革を行ったんだ

サークル数や参加者の増加が勢いを増すなか、1977年夏に蒲田の大田区産業会館で開催されたコミックマーケット「C6」。この回は、これまでの1日限りのイベント形式から脱却する大きな決断を迫られた回でした。

1977年7月30日〜31日の2日間にわたって開催されたC6は、コミケ史上初の「2日間開催」を導入した回です。また、夏の開催となったことで、熱中症対策や混雑管理といった「夏コミならではのサバイバル対策」が初めて本格的に開始された回でもありました。

この記事では、C6の劇的な歴史を徹底解説します!

この記事でわかること
  • C6でコミケ史上初めて「2日間開催」が実施された背景
  • サークル数100サークルの大台到達と、一般参加者2,000人動員の熱気
  • 真夏の蒲田で繰り広げられた、初の熱中症・酷暑対策のエピソード
  • 『宇宙戦艦ヤマト』などの第1次アニメブームの熱狂と同人ジャンル
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初の2日間開催:急激な規模拡大への大決断

C5での大田区移転成功を経て、さらにサークル参加の要望が膨らんだため、準備会はC6において史上初の「2日間開催」(土日開催)を決定しました。1日で全員を収容する限界を超え、2日間に分けてサークルを配置することで、混雑緩和とイベントの永続性を確保しようとした先駆的な取り組みでした。

サークル数「100」の大台到達と2,000人動員

2日間に分かれたことで、参加サークル数はついに「100サークル」の大台に達しました。一般参加者数も2日間合計で推定約2,000人を記録。

蒲田の大田区産業会館のワンフロアには、2日間とも朝から多くの同人ファンが詰めかけ、熱心な交流が行われました。

有明まい

初の2日間開催で、ついに100サークル突破!でも、2日間に分けたのに来場者は両日とも大混雑だったんだね……!

草壁シトヒ

そう。当時はまだ冷房のない大田区産業会館。2日に分散したはずなのに、会場内はすさまじいサウナ状態だったらしいよ

酷暑サバイバル:初めての夏コミ熱中症対策

1977年7月31日、猛暑のなかで開催されたC6。大田区産業会館は当時としては先進的な会場でしたが、現代の東京ビッグサイトのような強力なセントラル冷房はなく、換気や冷房の能力は非常に限られていました。

室内は参加者の熱気と体温で蒸し風呂のようになり、体調を崩す参加者が続出しました。

準備会スタッフは、窓を全開にして換気を行い、メガホンを使って「こまめに水分を取るように」「気分の悪い人はすぐにスタッフに申し出るように」と熱心にアナウンスを行いました。これが、現在まで連綿と受け継がれる「夏コミの熱中症対策・自己防衛マナー」の最初の原型となったのです。

『宇宙戦艦ヤマト』ブームとアニメ同人誌の台頭

C6が開催された1977年夏は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開され、日本中を巻き込むアニメブームが沸き起こった記念すべき時期でした。会場内でも、ヤマトを題材にしたパロディ同人誌やファンジンが多数見られ、アニメ系サークルが少女漫画・SFと並ぶ主要ジャンルとして頭角を現しました。

商業誌のような美しい印刷本はまだ少なく、多くは謄写版(ガリ版)や簡易コピーによる手作りの本でしたが、そこに込められた情熱は商業の枠を完全に超えていました。2日間開催を成功させたC6は、オタク文化の熱狂を支える器として、大きな役割を果たしたのです。

有明まい

夏コミの熱中症対策って、もうこの時代から始まっていたんだね。オタクの歴史は暑さとの戦いなんだ……

草壁シトヒ

本当にね。このC6で『夏の安全運営』という、現代まで続く最大の課題に初めて直面し、お茶や水の準備、救護体制の整備を始めたんだよ

C6(第6回コミックマーケット)に関するよくある質問(FAQ)

初めて「夏コミ」と呼ばれたのはいつですか?

C6は1977年8月に大田区産業会館で開催され、この回がコミケ史上初めての本格的な夏季開催(夏コミ)となりました。

C6当時の夏コミの暑さはどの程度でしたか?

空調設備はあったものの、会場内の熱気と参加者の密集によりかなりの高温多湿となり、現在の夏コミに通ずる暑さ対策の必要性が初めて意識されました。

C6当日の具体的な暑さ・熱中症対策は何でしたか?

当時はスポーツドリンク等の普及が少なかったため、水分の持参や、こまめな休憩の推奨など、個人の自主的な防衛策に頼る部分が大きかったです。

当時のサークル数や動員数はどのくらいでしたか?

サークル数は約100サークル近くまで増加し、一般来場者も千名を超える規模になり、夏コミの熱狂がここから始まりました。

暑さによる同人誌や機材への影響はありましたか?

汗で同人誌が傷まないよう袋に入れたり、サークルスペースでうちわを使って風を送るなどの工夫が自発的に行われました。

当時の流行ジャンルと頒布作品

ヤマト(宇宙戦艦ヤマト)などのアニメブームを色濃く反映したアニメファン同人誌が急増。オリジナル少女漫画やSFジャンルと人気を二分し始めました。

当日のエピソードと会場の様子

1977年7月30日〜31日、大田区産業会館にてC6が開催されました。サークル数は100の大台に到達し、参加者は2日間で推定2,000人を記録しました。

この回はコミケ史上初の『2日間開催』という大決断が行われた回であり、これに伴い夏コミ特有の猛暑対策(水分補給の呼びかけや体調不良者のケア)が準備会と参加者の共通課題として浮き彫りになり始めました。

まとめ:2日間の熱狂と夏の試練を乗り越えたC6

C6(1977年夏コミ)は、初の「2日間開催」を行い、サークル数100、一般参加者2,000人を動員しつつ、酷暑対策の重要性を刻み込んだ記念すべき回です。

C6の重要ポイント
  • コミケ史上初となる「2日間開催」を導入(7月30日〜31日)
  • 参加サークル数が100サークルの大台に乗り、参加者も合計2,000人へと急増
  • 冷房能力の限界から真夏の酷暑問題が発生し、準備会による初の水分補給等のアナウンスが実施された
  • 『宇宙戦艦ヤマト』ブームの直撃により、アニメーションパロディ同人誌が大きく台頭した
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