3回目のコミケも板橋で開催されたんだね!同じ会場を続けて使えて、運営も少しは落ち着いたのかな?
そうだね。ただ、サークル数がどんどん増えていって、同じ板橋の会場がものすごく手狭になってね。嬉しい悲鳴でありつつ、運営の葛藤も深まっていった回なんだよ
1975年に虎ノ門の日本消防会館で始まったコミックマーケット。第2回(C2)では板橋産業連合会館へ移転しましたが、続く3回目のコミケ「C3」でも、同じ板橋産業連合会館で引き続き開催されました。
1976年7月25日に開催されたC3は、サークル数の増加に伴って会場の狭さが浮き彫りになり、初期準備会が「これからの規模拡大にどう対処すべきか」という本格的な葛藤に直面した回でした。この記事では、C3の真実の歴史と初期コミケの会場確保のドラマを徹底解説します!
- C3が板橋産業連合会館で連続開催された背景と当時の判断
- 急増したサークル数と狭い会場が生み出した熱気
- 手探りで即売会のインフラを構築した準備会メンバーの活動
- 次なる広い会場を求めざるを得なくなった初期コミケの限界
板橋での定着:C3の会場選定とスペースの制限
C2で板橋へ移転したコミケ準備会は、C3でも引き続き東京都板橋区の板橋産業連合会館 3Fホールを借りる決定をしました。これは当時の準備会の財政状況や、会場予約の確実性を考慮した上での堅実な判断でした。
狭い会議室に集まるオタクたちの熱気
C3が開催された1976年夏、参加サークル数は56サークルへと急増しました。しかし、会場となった板橋のホールは決して広いものではなく、サークルスペースを配置すると一般参加者がすれ違うのも困難な状態でした。
冷房設備も限られていたため、室内は異様な熱気と蒸し風呂状態になりましたが、当時のオタクたちは濃密なコミュニケーションを楽しんでいました。この狭さが、準備会にさらなる広い会場への移転や組織化を意識させるきっかけとなりました。
参加規模の推移と「C3」の開催データ
1976年7月25日に開催されたC3の公式記録および規模データは以下の通りです。
| 開催日 | 1976年7月25日 |
| 会場 | 板橋産業連合会館 3Fホール |
| 参加サークル数 | 56サークル |
| 参加者数 | 推定約500人 |
前回の C2 の39サークルから56サークルへと大きく成長し、参加者も約500人が来場。着実にコミュニティとしての基盤を広げている様子が伺えます。
アニメ批評とパロディの萌芽:初期コミケのジャンル
C3の時期の同人カルチャーは、少女漫画の創作同人誌が主流でありながら、徐々にアニメや漫画の批評・ミニコミ誌、初期のパロディ作品なども並び始めました。
当時は商業誌では扱われないニッチな評論や、ファン同士の情報交換ペーパーが盛んに取引されました。のちに巨大ジャンルとなる二次創作やパロディ同人誌の「原点」が、この板橋の小さなホールの中で着実に芽吹き始めていたのです。
手探りの運営と次のステップへの模索
会場内の混雑が目立ち始め、準備会メンバーは「このままサークルが増え続ければ、いずれこの会場もパンクする」という強い危機感を抱き始めました。カタログの有料化や入場制限といった、即売会のインフラとしての管理システムの検討が、この頃から本格的にスタートすることになります。
次回の C4 も板橋産業連合会館で開催されますが、大混雑を経て、さらなる広さを求めて移転を模索することになります。
C3に関するよくある質問(FAQ)
C3の会場や規模について、よくある質問とその回答をまとめました。
- C3の開催日と会場はどこでしたか?
-
C3は1976年7月25日に、東京都板橋区の板橋産業連合会館 3Fホールで開催されました。板橋で連続開催されました。
- C3の参加規模はどうでしたか?
-
サークル数が56サークルに増加し、一般参加者は約500人でした。サークル数が半年前の初回のほぼ2倍近くに成長しています。
- C3当日の雰囲気はどうでしたか?
-
真夏の開催であり、冷房設備の限られた当時の会場は大変な熱気でした。スペースが狭くなってきたため、アットホームながらも窮屈さが出始めていました。
まとめ:規模拡大の葛藤が始まったC3
C3(1976年夏コミ)は、板橋産業連合会館での連続開催のなかで、サークル数56サークルへの拡大と同人インフラ整備の必要性を強く印象づけた回です。
- 消防会館ではなく板橋産業連合会館での連続開催(7月25日)
- 参加サークルが56に急増し、会場スペースの手狭さと冷房なしの熱気が課題に
- 少女漫画創作のほか、アニメ・漫画のミニコミ批評誌などジャンルの多様化が開始
- 混雑対策や今後の入場管理(カタログ制作等)の検討へ繋がるターニングポイントとなった
